いきあたりとばったり

色々とぼやきます

水俣病記念講演会

ご無沙汰しております。高浜です。

もうすぐGWですね!皆さん、仕事も程々に休まれますよう…

 

さて、昨日「第16回 水俣病記念講演会ー何を失ったのかー」に出席してきました。前々からこの催しを知っていた訳ではなく、たまたま西新のローソンでポスターを見かけ、「よし行こう」と即決しました。

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と言いますのも、私は熊本の育ちなので、水俣病ハンセン病については義務教育を受けていた頃から、よく話を聞かされていました。総合学習の一環で、実際に水俣にも足を運びました。

加えて、私の育った熊本県合志市には、ハンセン病の治療施設である「菊池恵風園」があり、そこによく遠足に行っていました。その度に、その施設で起こった悲しい歴史について聞かされていました。

 

このような過去があったから、水俣病に強い関心を持ったのではないかと自分では思っております。

 

話を戻しますが、この講演会、とにかく講師の面子が凄かったんです。

映画監督の原 一男氏・作家の森 まゆみ氏・批評家の若松 英輔氏 水俣市水俣病資料館の語り部をされている、緒方 正実氏…

 

そしてなんと司会には、SEALDsの代表として一躍有名になった、奥田 愛基氏。

 

講師の方は、当たり前ですが、第一線で水俣を見ておられる方々なので、かなり深い話が聞けました。

 

肝心の内容はネタバレになっちゃうので触れられませんので、私の感想を書きますね。

 

私は水俣の、通史(概説)しか知りませんでした。もちろん、現地に足を運んだこともありますし、書籍等で読んだこともあります。けれどもそれは知識にすぎません。

水俣病は昨年で公式確認から60年を迎えました。61年目を迎える今、水俣病の何が問題なのでしょうか。

例えば、加害者であるチッソを悪とすることは簡単です。けれども、それで終わりなのでしょうか。

講師の緒方さんは、水俣病患者ということもあり、水俣病の「今」を包み隠さず話して下さいました。その中に、先に指摘した問題にも、一つの答えを出されていました。

私はその答えに、深く感動しました。

 

もう一つ

改めて、我々は歴史に学ぶべきだと感じました。

通説ではありますが、水俣病はじめ公害問題は、戦後の高度経済成長のコインの裏側、言わば負の遺産です。コインの表側には、東京オリンピック(1964)をはじめ、経済成長の象徴となる出来事がありました。

やはり繁栄の裏には、何かしらの歪みが生まれてしまうのではないでしょうか。

 

東京オリンピック2020を控えた今、現代社会が抱える歪みに、もっと眼を向けるべきではないでしょうか。

 

感想は以上です。かなり抽象的な文章になってしまってすみませんでした。

この講演会、2年に1回程のペースで開催されているようなので、一度行って見てはいかがでしょう。

 

追記

講演会が行われたお寺がとても綺麗でした。本堂は撮影禁止だったので撮れませんでしたが…天神にこんな所があったのかと眼を疑いました。

まだまだ知らない天神の顔があるんだなぁと感心しました。

とりまえず、外観だけでも…

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あと、奥田 愛基氏に関して。正直、結構偏見があったのですが、実際にお会いすると、とても聡明な方でした。私と一つしか歳が離れてないのに…

やっぱり実際に会わないと人は分からないものですね。

 

今回もお付き合い頂き、ありがとうございました😌

ブラジレイロ

すっかり寒くなりましたね…皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

私はといえば、相変わらず仕事に忙殺されています。11、12月は繁忙期なので…

 

さて、今日は福岡は天神-中洲エリアをぶらっとしてきました。高層ビルが立ち並んでいたり、怪しい店があったり、

退屈しませんね〜。

 

そんな中で、こんな記念碑を見つけました。

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川沿いにあるこの石碑、何が書かれているのかと思って見てみると、喫茶「ブラジレイロ」の事が書かれていました。

 

ブラジレイロといえば、知る人ぞ知る名店です。店内にカラヤンの写真が飾ってあるのが印象的なお店です。今は呉服町近くにあります。

 

この記念碑を書いた人物の名が読めず、誰が書いたのかは分かりませんでしたが(知っている方教えてください!)ブラジレイロがどんな場所だったか、記されていました。

 

ブラジレイロは、昭和19年に強制疎開になるまで、ちょうど記念碑のあった位置にありました。

「昭和9年4月、白亜二階建て総ガラス張り。階下中央に広い噴水があり、マーブルまがいの円卓と、真紅のレザー張りのイスが程よく並ぶ。ここで博多人は珈琲の旨さを知った」

碑にはそう記されています。

 

昨年、ギンギラ太陽'sが公演した「天神開拓史」の中でもこのことが少しだけ触れられています。ブラジレイロは、第二次大戦中、強制疎開になるまで福岡・博多に珈琲を提供し続けたそうです。

 

またブラジレイロは、九州の文学の中心地としての役割も持っていました。

 

碑は、九州の文芸雑誌である「九州文学」(現在は第7期)の第2期は、このブラジレイロで産声をあげた事も伝えています。

「第2期『九州文学』は、ここに文学仲間が会合し文学を論じあった、その熱っぽい文学的雰囲気の中から派生したものだ」

 

この小さな喫茶店で、九州の文学者が、ああでもないこうでもないと言いながら論じあっていたと考えると、なんだかすごくロマンを感じませんか?

 

ブラジレイロ、価格設定は少しお高めですが、是非とも一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

環境と成長?

お久しぶりです。すっかり寒くなりましたね。(私の住んでいるとこだけかもしれませんが)いかがお過ごしでしょうか。

 

私は、ウィルス性の腸炎になったり、ちょっとした不幸があってお金が飛んで行ったりと・・・ちょっと災難な日々を過ごしています。

 

今回も、私が日頃生活している中で気づいたことを、勝手に述べてみたいと思います。

 

最近(でもないかもしれませんが)「~は成長したね」という言葉を聞きます。これは先輩や上司が、その部下や後輩を評価する際によく使われると思います。

例えば、仕事ができるようになった。何かが上達した。こういう場合には「成長」という言葉が使われるでしょう。

 

では、次のような場合にはどうでしょうか。

「あの子、内気だったのに最近よくしゃべるようになったね」「あの子は最初こそやんちゃしてたけど、今は黙々と仕事に励んでいるね」

このような一種の「変化」によって、仕事上やその他の場面において、良い方向に向かうのかもしれません。仕事が効率化したりするかもしれません。

しかし、その付加価値ではなく、人間の変化に着目してみてください。

内気な子が明るくなること=成長でしょうか。黙って仕事に励むこと=成長でしょうか。

 

私には、成長という言葉の間違った使い方が蔓延しているように思えてなりません。

 

上記のような変化は、先述した通り付加価値を生み出します。それは仕事の効率化であったり、利益であったりします。

そしてその付加価値は、多くの場合、評価者(先輩や上司)のいる組織を良い方向へ導きます。

 

つまり、所属している組織に対して都合のいい人間になること=成長という認識があるように思われます。

 

よく動物が、環境に応じて体毛を生やしたり、減らしたり、体型を変化させたりしている。似たようなことが人間にも起こっており、それを成長と呼んでいる人がいるのではないでしょうか。

 

私は先程、あえて「変化」という言葉を使いました。

例えば、寡黙な子が営業職になったら、ハツラツと「話さざるを得なく」なることは、成長ではなく変化です。少なくとも私はそう思います。

 

成長という言葉には、一種の魔性があり、さも良いことのように扱われますが、こういった側面もあるのではないでしょうか。

間違った「成長」を目指して、壊れてしまう人が減りますように。

 

 

 

 

大学を出る意味

「大学なんて出てもなんの意味もない!お前は大学で何を学んだんだ?歴史や漢字なんて勉強したって何の意味もない!何の意味もないことに金を費やしている。だから俺は大学が嫌いなんだ!」

 

これはあるお客さんから言われた言葉です。僕がとばっちりを受けた時の。そういうお客さんです。

 

お客さんだから、ということもありますが、僕はこの時何も言い返せませんでした。大学で歴史を学ぶ意義なんて、耳にタコが出来る程聞いたはずなのに。

 

勿論、理系の方を始め、専門的な知識・技術が求められる職業の方にとっては、大学はとても意義のあるものであると思います。

 

ただ、私のような営業職に就く者にとって、大学とは何の意味があるのでしょう。中卒で営業してる人も他社にはいます。高卒も然りです。場合によっては彼らの方が良いセールスマンであったりします。

 

では、私達営業職にとって大卒とは価値のあるものなのでしょうか。

 

相変わらず問題提起だけしかせずに、申し訳ありません。こんなことを考える最近です。

周辺

7月も終盤に差し掛かり、暑さも本格化してきましたね。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、今回も記事を書かせて頂きます。「周辺」というなんだか論文に出てきそうなワードで銘打ってますが、内容は大したことないです。よろしければお付き合いください。

「周辺」・・・・果たして何処を指すのでしょうか。首都圏以外?県庁所在地以外?うーん、「周辺」はいくらでも見つけられそうです。

このようなこともあり、今回の記事では「周辺」を明確に定義することを避けました。論文ではないのでお許しください。「人はそこそこ住んでるorほとんど住んでない(過疎地域)自然が目立つ場所」のような形でイメージしてもらえば大丈夫です。

 

さて、前回の記事でも少し触れましたが、私はとある片田舎で営業職をしています。いわゆる「ルート営業」と呼ばれている職種で、飛び込み営業とは異なり、既に契約を結んでいるお客様のところへ訪問することが、主な仕事です。

訪問を重ねていく中で、少し気になる話を聞きました。「都会とは違って田舎の人間関係は分かりやすい。一度嫌われると、その人は余程のことがない限りずっと嫌われたままだし、良くしてくれる人は可愛がってもらえる。」と、ある社長はおっしゃいました。私もなんとなくですが、田舎(周辺)の方が人間関係が濃密そうなイメージは持っていました。

この社長の発言からは、都市と周辺の人間関係の違いが読み取れると思います。では、周辺の人間関係の特徴とは何なのでしょうか。別の社長の発言をもとに考察していきたいと思います。(余談ですが、このような田舎の人間関係について語る方は、私の周りにたくさんいらっしゃいます!驚きます。)

 

ある社長は「ここらへんの人は、仲良くなるまでに時間がかかる。壁があるから。けれども、仲良くなったら可愛がってもらえる」とおっしゃいました。この発言は、先ほどの「良くしてくれる人は可愛がってもらえる」という発言と通ずるものがあると思います。

これらの発言から、周辺の人々の「排他性」と「人間関係の濃密さ」を読み取ることができると思います。現に私も、訪問した際に「何しに来たんだ」という目で見られたり、挨拶を無視されたりしました。(ルート営業なのに!)私の経験に即して言う訳ではありませんが、排他性は確かに存在すると思っています。

人間関係の濃密さに関しては、比較対象(つまり「都市の人間関係」)が無いので結論を出し辛いのですが、少なくとも私の経験では、周辺の方が人間関係は濃密です。(学生の頃は、今よりはずっと都会に住んでいました。)

 

都会に住んでいる方、いかがでしょうか。田舎の人間関係はこのような形です。是非一度、都会に住んでいる方に話を伺ってみたいものです。

 

 

 

 

ボーダー

初めまして。今日からブログを運営することとなりました。どうぞよろしくお願いします。

 

「自分の頭の中で考えていることを外に出したらどうなるのか」という好奇心のもとに始めたブログ、今回は「ボーダー」というテーマで記事を書かせて頂きます。

 

「ボーダー」とはへり・縁・端という意味や、国境・境界という意味がありますが、ここでは「境界」の意味で捉えてください。

私は新卒で現在の会社に営業職として入社いたしました。営業職、という言葉の示す通り、毎日、いろんな方々とお話しさせていただいています。

いろんな方々、とは言っても、その殆どが現場で作業されている方です。大工さんや車の整備士さんなんかをイメージしてもらうと分かり易いかと思います。

私の周りの現場作業員の方々は、大変失礼ですが「学歴」というステータスを持っていない方が殆どです。中には「小学生の頃から作業しかしてない」という方もいるくらいです。

殆どの親から「いい大学を出て、一流企業に入ってほしい」という声が依然として多い昨今において、彼らのような「学歴を持たない現場作業員」は卑下される対象であり、ややもすると「負け組」「幸せになれなかった者」というレッテルが貼られてしまいます。

しかし私は、彼らがバカで不幸な人間とは到底思えないのです。寧ろ彼らからは、ある種のインテリジェンスを感じ取ることができます。何故でしょうか。

彼らは、その分野の専門的知識はもちろんのこと、俗にいう「一般教養」も広く身につけています。(例えば政治や経済に関する知識)

思うに、彼らはそれらの知識を誰から教えてもらったという訳ではなく、より良く生きるために、自分で身につけたのではないでしょうか。

その点、私たち高卒・大卒組は彼らとは異なった知識の付け方をしています。散々指摘されている通り、日本の教育は「詰込み型」であり、与えられる知識をより多く得て、覚えたものが受験レースに勝つことができます。つまり、能動的に動こうとせずとも、知識は与えられるのです。そしてより多くを覚えた結果、「学歴」というご褒美が貰える。

では、ご褒美をもらえなかった現場作業員の方々よりも、私たちは多くを知っているのでしょうか。

一見すると学歴という線でしっかりと区切られている、博識とバカのボーダー、幸せと不幸のボーダー、もちろん幸せの形は人それぞれですし、博識だから幸せという訳ではありませんが、「いい大学を出て、一流企業に入ってほしい」という声が依然として多い昨今だからこそ、この「ボーダー」を今一度考えてみてはいかがでしょうか。