環境と成長?
お久しぶりです。すっかり寒くなりましたね。(私の住んでいるとこだけかもしれませんが)いかがお過ごしでしょうか。
私は、ウィルス性の腸炎になったり、ちょっとした不幸があってお金が飛んで行ったりと・・・ちょっと災難な日々を過ごしています。
今回も、私が日頃生活している中で気づいたことを、勝手に述べてみたいと思います。
最近(でもないかもしれませんが)「~は成長したね」という言葉を聞きます。これは先輩や上司が、その部下や後輩を評価する際によく使われると思います。
例えば、仕事ができるようになった。何かが上達した。こういう場合には「成長」という言葉が使われるでしょう。
では、次のような場合にはどうでしょうか。
「あの子、内気だったのに最近よくしゃべるようになったね」「あの子は最初こそやんちゃしてたけど、今は黙々と仕事に励んでいるね」
このような一種の「変化」によって、仕事上やその他の場面において、良い方向に向かうのかもしれません。仕事が効率化したりするかもしれません。
しかし、その付加価値ではなく、人間の変化に着目してみてください。
内気な子が明るくなること=成長でしょうか。黙って仕事に励むこと=成長でしょうか。
私には、成長という言葉の間違った使い方が蔓延しているように思えてなりません。
上記のような変化は、先述した通り付加価値を生み出します。それは仕事の効率化であったり、利益であったりします。
そしてその付加価値は、多くの場合、評価者(先輩や上司)のいる組織を良い方向へ導きます。
つまり、所属している組織に対して都合のいい人間になること=成長という認識があるように思われます。
よく動物が、環境に応じて体毛を生やしたり、減らしたり、体型を変化させたりしている。似たようなことが人間にも起こっており、それを成長と呼んでいる人がいるのではないでしょうか。
私は先程、あえて「変化」という言葉を使いました。
例えば、寡黙な子が営業職になったら、ハツラツと「話さざるを得なく」なることは、成長ではなく変化です。少なくとも私はそう思います。
成長という言葉には、一種の魔性があり、さも良いことのように扱われますが、こういった側面もあるのではないでしょうか。
間違った「成長」を目指して、壊れてしまう人が減りますように。